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心に残った、師走の会。
東京の街のリフレッシュが進行している。六本木ヒルズ、東京駅前の丸ビルや表参道ヒルズ、さらには六本木防衛庁跡の東京ミッドタウンに、JR有楽町駅前再開発が完成して地下で銀座と連結した。だが、どんなに旨いか知らぬが、たかがドーナツを求めて、いい大人たちが黙々と長蛇の列を作って並んでいるのをみると複雑な気持ちにさせられる。東京の街が、どんどん無機質化していく怖さを感じるのである。
そんな中、今度は日比谷近辺が変っていく。この辺りは既に、昔懐かしい「有楽座」が消滅し、「日比谷映画」がビルの中に組み込まれて久しい。ここへ来て、宝塚劇場が外容からしてがらり変ったばかりか、今度は東宝本社のあるビルが建て直され、この中にあった「芸術座」が「シアタークリエ」と衣替えして再スタート、昨年11、12月には『恐れを知らぬ川上音二郎一座』が、好調のうちにこけら落し公演を了えている。ただ、「日比谷映画」がとうとう姿を消したのは一抹の寂寥感。
「芸術座」といえば『放浪記』のロングランである。この劇場はさして大きくなく座席もゆったりとしていて観やすく、暖かさを感じさせる芝居小屋の趣もあった。私は例の森光子のでんぐり返しを昭和36年に観たが、思えばこれが初演の時であった。50年近くの歳月が流れれば当然だが、その頃出ていた益田キートンなど、森光子を除いて初演の時の人は殆どいない。『頭痛肩凝り樋口一葉』などの一連の井上ひさしの作品も面白く観た。新しい劇場は更に稍小ぶりになったが、今後は、ミュージカルなどに力を入れ2、3ヶ月単位で上演していくと聞く。その『放浪記』が正月から3ヶ月間興行を打っていて、この間に前人未到の上演1900回を達成する計算になる。
この付近一帯は、東宝系のリフレッシュに続き、今、三井系のビルがどんどん建て代えられていく流れにある。帝国ホテルも変るようだし、日比谷界隈が今度は新しいスポットになる勢いである。そして、その次が国立劇場裏の永田町という動きも。
毎年、師走に入ると俄然演奏会が多くなる。舞踊会では、『藤間流藤盛会』『坂東流』(いずれもイイノホール)『正派若柳会』(日本橋劇場)『はなぶさ会』(イイノホール)など、時節柄チャリティー公演が多く、このなかでは正派若柳会の、唄が6名、三味線が5名に囃子方が9名の流儀の若手たちが勢揃いして、長唄『外記猿』をフル演奏した企画が面白かったし、やはり勢いのあったのは家元三津五郎が率先しての坂東流で、いつものことながら観客席も終幕まで立錐の余地がなかった。世話になったと、永年このホールに係わってきた小泉英二らスタッフへの、感謝の意をこめた家元の心遣いには胸にくるものがあった。これらは、いずれも数十回と回数を重ねてきているものだが、すでに正派若柳会は日刊ホールから移ったし、昨年末に閉鎖を喰らったイイノホール組は何処へいくのだろうか。
演奏会では、『新の会』と『若獅子の会』(いずれも日本橋劇場)という、女・男それぞれ囃子の会が対照的。が、この種の会では地方陣に人を得ないと散々という見本を示した。囃子の会ではほかに、広尾の有栖川公園近くの料亭「清水」の座敷での藤舎呂浩一門の『お囃子かざ花会』が、何かとせわしい師走の中、ちょっとした息抜きのひとときを持たせたユニークな会。譜面を前にしての演奏が多いなか、譜面なしで、小鼓を見事に打った年配の方の『鏡獅子』と、山村流宗家若の二人の中・高生子息たちの太鼓と小鼓による『連獅子』の一途な演奏とが好一対であった。
紀尾井ホールでは、連日のように好企画が並んだ。傘寿を迎えて益々元気な常磐津英寿の『愛の会』(12、4)は自身の初期の作品を並べたが、今後もこの路線を進めるようで楽しみが膨らむ。この人はいつも背筋がシャンとしているのがいい。モーツアルトの「ケッヘル」の如く、数ある創作作品に、順に番号が振ってあるのは几帳面さを示して流石。『富田清邦地歌筝曲演奏会』(12、5)と『米川敏子箏・三絃リサイタル』(12、16)では、いずれも古典のみ三番の演奏が、選曲のバランスが優れていて心地よく聴かせてくれた。後者では、このホールでは珍しい美術の工夫も効果的であった。特筆すべきは、この二つの会に客演として、手事物『根曳の松』の箏と、『八重衣』の三絃をそれぞれ受け持って、会主の力を引き立たせながら、なおかつ自らの力量を十二分に示した米川文子の底力に圧倒されたこと。この人の、いつも竹を割ったようなスカッとした演奏は、聴いていて本当に気持ちがいい。
駆け足で師走の東京での会を辿って来たが、いつも始まる前から緊張感が客席にまで充満する、藤舎呂船主宰の『藤舎囃子研究会』(12、26―国立小)が、この年の掉尾を飾って平成19年は暮れていった。
12月の初め、京都に行ったその間隙を縫って、駅からタクシーを飛ばして「東福寺」の紅葉見物とシャレてみた。
この年の京都は、秋が暖かく遅れる紅葉を期待したのだが、そうは問屋が卸さなかった。ここの通天橋からの紅葉は言い様もなく見事で素晴らしいものだが、いかんせんほとんど散ってしまっていた。が、境内は名残を惜しむ人で溢れ、庭は落葉の絨毯で真っ赤に染まっていて、さすがその面影は残していた。タクシーの運転手は、ピークは11月の終りの三連休で、この頃は連日30万の客が押し寄せたと云う。
東福寺は禅宗の寺として京都五山の一つで、南都東大寺の「東」と興福寺の「福」の二文字から取ったものと聞く。何しろ、京都駅に近く手ごろな紅葉の名所として人気がある。広大な敷地に多くの塔頭を持つ京都最大の名刹である。
この時期、ほんの束の間の紅葉狩りのひとときであった。
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