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あちこちで欠如しているプロ意識
劇場が自主公演で作成するプログラムがある。有料、無料を問わず、概して主催者は、これに神経を使わなさすぎる傾向がある。国立劇場の公演には、この欄で再三指摘してきたが、今回は三越劇場の「三越名人会」を取り上げたい。
そもそもプログラムは誰のためにあるのかといえば、いうまでもなく、そこへ来た観客の観賞の一助となるための資料といっていい。この視点から言うと、「三越名人会」の7月公演「舞の会」(7月15日)のプロを見て、黙っていられなくなった。まず、一つのプロに「地唄」と「地歌」と、二た通りに表記してあることである。この表記については、予てからどう書くかの論争めいた議論がある。ある人は信念のようにどちらかに拘る人がいる。かと思うとどちらでもいいじゃないかという、なまくら四つの人もいる。このプロでは巻頭でそのあたりに触れている。だが、これはナンセンスな説明である。両方表記の言い訳でしかない。実は一般の人にはそんなことはどちらでもいいのである。時に、関西のお浚い会などのプロに、演奏者によって両方併記が見られたりするが、これは企画番組である。それなら、どちらでもいいから、統一して表記するのがスジであろう。敢えて言えば(その必要さえないと思うが)、一言どちらかにした根拠を併記すればいい。これでは逃げでしかない。これだけの企画委員が並んでいて、プログラムについての「格」の認識が足りないといわれても仕方ない。
後半に『山姥』(山村若)があった。ここではソロの笛が高いウエイトを占めた。だが蔭囃子で、だれが吹いているのかとプロをめくってもどこにも書いてない。ただ「社中」とあるだけとは不親切なプロである。こんなプロってあるだろうか。蔭は十把ひとからげなのか。スペースがないとは言わせない。「久保万」とか「安鶴」とか、とっくに亡くなった企画委員の名が毎回並んでいる。まるで過去帳みたいなプロである。ついでに、毎回の幕間での解説であるが、あの程度のことを喋るのに原稿読みは「プロ」として恥ずかしい。時々、信じられないようなアクセントの間違や読み違えがあったりする、幕間でのサービスの積りなら余計な親切である。
その昔、着物を着て自毛で髷を結ったり、まだかっての日本の風俗をそのまま引き継いでいた頃、下着は男ではふんどし(越中あるいは六尺)そして女は腰巻きと決まっていた。その頃、数少ない女性の職業として百貨店の店員があった。東京日本橋の当時の老舗百貨店で火事があった。逃げ遅れた大勢の和装の女性店員が、窓から飛び降りられたのに、そのまま焼け死んだ。飛び降りる時の下半身丸見えになるのに耐えられなかったからであった。洋装全盛になって腰巻きは姿を消した。和服を着てもその時だけでもと身に付ける者もいない。だからこそ、舞踊家は気をつけて欲しい。舞台に乗るときだけではない、特に薄手の淡い色の着物着用の時に、パンティの線が鮮やかと言えるほど浮き彫りされるということを承知だろうか。舞台の上で、うしろ向きになって片方の腰にウエイトが掛かった時に、臀部のあたりにパンティの存在を想像させるのは興醒めである。どこかの姉ちゃんが遊びで浴衣を着るのとはワケが違う。
「井上八千代の名前を重んじるさかい、跡継ぎはきめんと死んでいく。跡継ぎは人間が決めるもんでなく、世間様がこしらえてくれはる」は、二世井上八千代の遺言だという。後を継いだ三世八千代は、「都をどり」の創始者で、新派の往年の当たり狂言『京舞』
(作・北条秀司)のモデルでもある。二世没後、数年後に三世に決まったが、「井上八千代は晴れがましい」と、初めて井上八千代を名乗ったのは、96才の長寿を祝う舞踊会の時であった。
先代尾上辰之助が、仕事の掛け持ちで歌舞伎座から当時の東横劇場へ車で移動の際、死期間近の母堂の入院する病院の前を通りながら、臨終に立ち会えなかったという逸話も夙に知られている。
この二つのエピソードの深層は重くのしかかる。プロフェショナルの生き様の凄まじさ、厳しさを教えてくれるからである。今はどうだろう。普通のお浚い会ならいざ知らず、大きな会でのドタキャンまがいのことは、仮令理由はなんであれ、プロの世界では絶対通用することではないのである。しかもこのことについて、誰も、何も言及する者さえいないとすれば、その世界が飛び抜けて異常であるということで、さもなければ、日本舞踊家はプロではないということを、舞踊家自身も、世間様も認めたということであろうか。それなら何をか言わんやである。
63回目の原爆記念日がやって来た。今、核保有国は、米・ロシア・英・仏・中国・インド・パキスタンの7カ国、これだけで地球全体の人口の半分を占める。ほかに持っていると疑われている国がイスラエルにイランそれに北朝鮮である。簡単に造れるから他にもいるかも知れない。核は完全に地球上に「拡散」しつつある。六カ国協議が進展しないが、北朝鮮は絶対に核放棄などしない。大国に対抗する唯一の武器だからである。第一、持っている国が、持っていると疑われている国に、持つなというのだから説得力はない。日本で初のノーベル賞を受賞した物理学者湯川秀樹が、最晩年命を賭して「核全廃」を全世界に訴えた。人類に残された道はこれしかないが、今はそんなことを言う学者もいない。地球は確実に滅亡への道を歩んでいるのである。
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