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―眠れずに考えた、
ここが「オカシイ」。
色々の会で「手拭」が撒物として出される。そんなとき戴いた結構な数の手拭が溜まっている。何の気なしに並べてみたら、妙なことに気がついた。標準型が大半の中に、より幅広で長いものが散見されたりする。なかに、幅は同じだが長さが短いものがある。妙なことに、それが特定流派に限られている。新舞踊の流派に多いが、古典の大流派にもこんなのがある。これはどうしたことだろうと、素朴な疑問が生じた。手拭が小道具として使われる舞踊があるが、たとえば道成寺で「恋の手習い」の手拭の所作のところでは、手拭に染め込まれた踊り手の流紋が客席に見えるように踊っている。この時、手拭の大きさは関係ないのであろうか。短小の手拭はそのまま使われているのであろうか。この短い手拭の流派では、別に小道具用のものを使っているのであろうか。こんなことを考えていたら夜眠れなくなって来た。
この国はおかしいことだらけである。民営化したJRがおかしいと思っていたら案の定、今回のJR西日本「福知山線」の大惨事である。
例えば東京駅新幹線のホームをちょっと注意して見てみるといい。ホームにベンチが一つもない。あるのは端の方に囲いつきの一画があるだけである。いい場所にあるのは売店やコンビニばかり、しかも一つのホームにこんなものが7ヶ所もありながらである。また、土地勘のない地方の駅で、どう乗るのか分からなくて駅員に聞こうにも、なかなか駅員らしきものがいない。いても信じられないことに駅員に知識がない。あちこちで厳しい人員削減を図っている。本来の業務である「安全輸送サービス」がなおざりにされているということである。
民営化したら良くなるというのは神話である。国鉄時代の親方日の丸体質をそのままに、その上にさらに利潤追求の因子が加わっただけのこと。これはJR西日本だけの問題ではない。都市圏交通に限って見ても、関西ではほとんどの路線が私鉄各線と激しい競合関係にあるのに、関東では私鉄との間には大体がそれぞれ独占的だという条件の違いがある。その現れ方が違うだけのことである。賢明な関西私鉄はスピード競争を諦めて、きめ細かいサービスに重点を移している。
他方で郵政民営化が進んでいるが、肝腎の議論がなされていないのである。民営化の行き着くところは目に見えているのに、こちらの議論は全く不毛である。
ニッポン放送や、NHKと朝日新聞の問題も下火の様相を呈している。しかし、なにも片付いていない。朝日―NHKの問題など、一緒になって政治の世界と対決しなければならない大問題なのであるのにお互いが泥仕合をやっている。ニッポン放送の問題は、期せずしてメディアのコングロマリット化をさらけだした。TV・ラジオ・新聞その他のメディアを独占して、他を受け入れぬ「自分の城」を築き上げて膨大な独占的利益を貪っている。「電波は公共のもの」とうそぶくトップはゴールデンや深夜の、洪水のごとき実に下らない番組を観たことがないのであろうか。TVマンの思い上がりは、いまに始まったことではない。輪をかけるのは他局の扱い方で、全く他人事のように楽しんでいる。
北朝鮮の報道の、その高圧的口調や人民の画一的行動を観て、誰もが呆れてあざ笑う。この際思い起こすべきは、自分の国がかってまさしくこれと同じだったということ、この時この国のほとんど全てのメディアが魂を奪われたという事実である。それもそんな昔の話ではない、ほんの一昔前のことだということである。
最近、国立劇場などでリサイタルばかりでなく、お浚い会でも「非常口」マークが消灯されるようになった。
ある舞踊会でのこと。その幕開きのあとすぐに「非常口」マーク消灯の演目があった。しかし、このとき「禁煙」マークは点灯したままであった。頭取部屋へ飛んで行った。その前日、やはりここの大劇場での終盤の3番で、続けざまに同じような場面を見せられたばかりだったので、腹に据えかねていたこともあった。頭取部屋には、マネジャーのほか照明・装置のスタッフもたむろしていたので、これ幸いとばかりこのことを言った。次の『藤娘』では両方とも消えていた。しかし、デコレーション用の提灯の列は消えていなかった。その次の演目からは「全て」が消えていた。私の腹はようやく収まったのである。スタッフはみんな思っていても言い出さない。言われたことしかやらない。だから頼りは会主の意識に尽きることになる。劇場使用料は決して安くない。だとしたら、遠慮せず使い勝手の良い方を主張するのは、会主の当然の権利であることをお忘れなく。これは地方の劇場でも同じことである。劇場によっては時計が掲げられているところもある。便利な点もあるが、これも演出効果を殺ぐ要因になる。
劇場ロビーの禁煙化が進んでいる。いわんや劇場内でタバコを吸う人などいない。同じように、昔は時計は高値なものだった。時計をもっていない人には便利だったかも知れない。昔の条件そのままに劇場施設は進歩がないということである。中で働く人も云われたとおり動いている。とすれば、使う方が知恵を働かせるしかないではないか。
その翌日の舞踊会ではしかし、相変わらず「禁煙」の点灯と「非常口」の消灯の現象は続いていた。 |